役者と観客が成立させる舞台

舞台を創る根源として必要不可欠なのが役者である。どんな立派な劇場や設備、豪華な舞台装置、さらにそれを運営する優秀なスタッフをそろえたとしても役者のいない舞台というのは舞台にならない。
かつての作曲家ジョンケージが「4分33秒」という名(迷?)曲で、一音も発しない音楽表現を行ったように、役者が登場しない舞台も表現の一つとして考えられなくはないが、これは極めて特殊なケースであり、役者の登場しない舞台というのはまず舞台とは呼べない。

逆にいうと役者さえいれば、劇場設備などなくてもどこでも舞台は成立すると言える。

極端な話、台詞すらなくとも、そこに役者がいて、それを観る観客がいれば舞台は成立する。

砂漠で一人の人間が、一人の人間の前で、無言で歩くなり何なりの動きを表現すれば、それで舞台という関係は成立する。

ここで舞台が普通の人間同士のコミュニケーションと区別されるのは、演じる側と観る側という立場がはっきり分かれることだ。

演じる側はもちろん観る側の反応に影響は受けるが観る側が演じる側に転じるわけではなく表現するのは演じる側だけである。

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