恋する音響

音響というポジションは女優や歌手と同じでありやっかいなポジションである。

何がいいたいかというと、いい恋をしていなければ、いい音は鳴らせない、音響というのはそういうポジションだと考えている。

自分のポジションを評価し過ぎのように思われるかもしれないが、実際に舞台上で音響が表現しなければならない微妙な感性は、オペレータが恋も愛も何もない状態で、表現するのはかなり難しい。

この「恋をしている」状態があってこそ微妙な音色をつけられる。

私が恋をどうのこうの説明するのは野暮な話だが、好きな人の一挙手一投足に注目し、相手の反応に一喜一憂したり、熱い想いを伝えられず、つらく切ない時間を過ごす、あのハートが敏感になっている状態こそ、音響として舞台上に音楽を流す上で必要な状態であると考えている。

この悲喜こもごものハートの状態を保っていなければ、舞台上に自分が流す音の感性は感じ取れないし、また舞台上の流れさえ読み取れない。

だから私も恋する相手を探すのに必死である(笑)

でも音響にとって必要な恋は、あまりHAPPY過ぎても安定してしまい、あまりよろしくない。

想いが伝わらないつらい片思いこそ、ベストな状態かもしれない。そう、だからいつも私はベストな状態を保つように心がけているのである…??

ただし、このようにハートをセンシティブにしながらも、一方で自分自身のハートで受ける感覚を、クールに頭で分析する冷静さがないと、のめりこみ過ぎて、独り善がりの音になってしまう。そうすると音だけが走り過ぎて、舞台から浮き、舞台全体のバランスを失い、表現が観客に伝わらなくなる。

ハートで感じ取った感性を、頭で冷静に分析し、音響卓のフェーダを通じコントロールする。のめり込みすぎてもいけないしクール過ぎてもいけない。

しかも観客と同じようにそのとき初めてその音を聞いたという感覚で感じ取り調整して行く・・・そのバランスは滅茶苦茶難しいが音響の一番の醍醐味でもある。 そうだから初めて出会ったときのあの感覚が大事で、のめり込み過ぎて自分を見失わないことが大事である…音響も恋も……そうか、そうだったのかぁ…(続く)

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